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【寄稿】 業界の半世紀を振返り

高崎  實

 全日本ラヂエーター工業会創立50周年、誠におめでとうございます。この機会にラジエーターと共に歩んだ私の半生を振返ってみたいと思います。

 茨城県から単身上京し中目黒の目黒ラジエーターに就職、そこで一から修行をしました。もともと機械に興味があったので、直ぐに技術を習得し、また物怖じしない性格も幸いして仕事先やお客様には随分と可愛がっていただきました。 

高度成長の機をとらえて独立し、1967年に高崎ラヂェーターを創業。築40年の隙間風の入る古い家を見つけ工場兼自宅としました。所帯を持ったばかりで息子も生まれ、家族のために懸命に働いた時代です。子育ても間々ならず、駐在所に迷子届けを出したことも一度や二度ではありません。3年後に新築した工場に移りましたが、創立当初の貧しくとも将来への夢に満ちた日々は良い思い出となりました。

 会社も軌道にのった80年代後半、当時は業界全体が活気に満ち、面白いくらいに仕事が有りました。増資して株式会社にし、繁忙期はアルバイトを7~8人雇用して、主に高級車のラジエーター修理や外車ディーラーからの製造部品の下請けなど、幅広い事業展開で現在の基礎を築きました。


 東京支部の役員を務めさせていただいた折には、皆さまには多方面でご尽力を賜り大変お世話になりました。

2004年に脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になりましたが割と軽い方でした。最初は思うように声が出ず趣味の民謡も唄えなくなり、口惜しい思いで悲嘆に暮れましたが、言葉もままならない時期に皆さまから好くお電話を頂き元気づけられました。どうも有難うございました。
 リハビリを続けた結果、2011年は民謡の地区大会で優勝するまで回復し、2012年の国技館で行われる全国大会で「磯節」を披露することが決まりました。

 会社は息子をはじめ従業員が後を守ってくれています。長引く不況で業界も様変わりし、試行錯誤しながらも新な試みを模索中のようです。難しい時代ですが若い感性で新な時代を築いてくれるものと願っています。
 至らない点は多々ありますが、これからも東京支部の一員として精進していく所存ですので、引き続き皆さまのご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

本記事は、2012年発行「全日本ラヂエーター工業会創立50周年 記念誌」の寄稿文を転載したものです。

高崎實は2015年3月に逝去しました。

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